子供たちも 2023-2024

すでに3年も続いている悲劇を誇張するのではなく、作者とその能力を称賛もせずに、起きている出来事と、それに伴う感情を誠実に記録するような造形芸術の正しい技法を見出すことは、今日の芸術家にとっては難しいことだ。戦争が終わり、さまざまな回想とその化け物じみた鮮明さをまとめていく段になれば、おそらく、すさまじく大きな音が必要となることだろう。

私にとって身近なものとなりつつあるのは、女性の瞑想的な手芸だ――それは時間の停止でもあり、内省でもあり、祈りでもあり、そして幾分禁欲主義で集中でもあり、課された問いというひとつひとつの輪やステッチとともに頭の中でかぎ針を引き抜いていく長いプロセスでもある。3カ月間、私は、毎晩息子を寝かせると、他の子たちのことを考えるために腰をおろした、少なくともその時だけは気を逸らさずに彼らに思いを馳せようと。朝起きない子、お粥を食べるのを拒む子、幼稚園で泣きもしない子、恐竜の名のひとつも太陽系の惑星の順番も覚えることのできない子たちのことを。戦争が殺している子たちのことを。私の国が殺している子たちのことを。私の同胞らが殺している子たちのことを。私には覚えておくことしかできない子供たちのことを。ウクライナの女性たちにとっても、ロシアの女性たちにとっても伝統的な手芸が、だいぶ前に忘れられてしまったルーツや慣習を私に戻してくれる。曾祖母が編み、祖母が編み、母が編み、そしていまは私が編んでいる――思いをめぐらせながら。

この作品を理解するためのコンテクストには重要な意味がある。ベトナム戦争の際のアメリカの二つの反戦プラカードをひとつにして作品にしようと私は考えた。ひとつめのプラカード は、戦争で死んでいく子供たちの姿を省略無しで見せ、私が自分のキャンバスで引用した単純な問いと一義的な答えを言葉にしている。

「子供たちも?」

「子供たちも」

二つ目は、 1970年代に学生たちが作成した無数の反戦メッセージのうちのひとつだ。ここには、殺人兵器(リボルバー)が描かれ、侵略国(アメリカ)が名指されている。「方眼」を利用して描かれたリボルバーは、かぎ針編みにはうってつけのゲージだった。国名の部分を変えることはできると思った。でも残念なことに、いま戦争が起きているのはウクライナだけではない、子供たちは世界の多くの場所で殺され続けている。だから、子供を含め、あらゆる人に向けられる 武器は視覚的に変わらず残った。

高柳聡子訳

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